DIARY02
徨日
失意泰然、得意淡然、常々端然
2017年
 現・彷徨日記進行中  最短作品 2017.12.29 気付けば怒涛の、師走です。
今年は何やかんやでバタバタしています。
年の瀬の反省会は後日また改めてするとして……
一つ、お仕事の紹介だけお先に。

かみのみかくし (YouTube)
お仕事のページにも載せていますが、こちらの動画を製作しました。
今年の9月の頭に、約十日で製作した拙作……、文字通り拙速の映像作品です。
語弊のありそうな表現ですが、これまた奇縁で頼まれた案件で
おまけお仕事と呼べる予算も何も無かったのですが……、いちど絡みついた縁、策を捻りました。

そして思い立つ愚策の極み――
「一週間で5分のMVを作り上げてみるか」

未踏の製作手段と工程と、僅かばかりの経験を駆使して「それらしい映像」を十日間模索してみました。
……というか、丸三日ぐらいはレンダリングの時間で潰れているので、実質約七日の製作です。
お陰様で、割と大真面目に、無茶苦茶なやり方でした。

結果的には綻びだらけの、“拙作”の言葉がこれ以上無く似合う作品になってしまいましたが
一方で「十日で5分、何となくできるんだな」という嫌な実感も得てしまいました。
そんな、僕の中の最短作品でした。

因みに、次点は「Decadence」「雨影MV」の二つ、いずれも2週間製作です。
……短期間製作、思いのほか多いかもしれない。
 言の難しさ 2017.11.17 お仕事関連を、幾つかまとめて更新しました。
先ずに、簡単にそれらの説明から。

「オノマトペ」について。
これは、クラウドファンディング企画もので、投資者への御礼としてのアニメーションやらを作りました。
十分な投資あれば、引き続き本企画でも……、という話でしたが
既に飽和状態であったクラウドファンディングは微妙に目標に届かず。
とても面白そうな企画だったのですが、結局、御礼アニメーションと一、二個サンプル作っただけに止まりました。

「Crystalline」について。
こちらは実は、一昨年も「OPツクッテ!」と相談あり、拙い英語で「ゴメン、イソガシイヨ!」とか云々……
そんなやり取りした海外のゲーム屋さんでした。
そうしたら、今年になって「新作作ルカラ今度コソ頼ムヨ!」と再度連絡あり
紆余曲折あって、とりあえずお試しでタイトル画面だけ作りました。
イメージ的には拙作「Apocalypsis(YouTube)」みたいなモノです。
こちらは、本編に実装されたら「公開シテ良イヨー!」と許可をもらえているので、またいずれ。
因みに、本作は真面目なファンタジーをしているビジュアルノベルゲームです、フルボイス。
流暢な英語過ぎて、半分も聞き取れていませんが、賑やかな画面もあって結構楽しめています、興味ありましたら是非に。

「君のいる場所MV」について。
こちらは新進気鋭のイラストレーターさん原案のMVに、色々と縁が巡り巡って関った作品です。
ただ、先行していた予定もあったので、いつも力添えしてくれているNo.1Øさんに
「メインで作画をして欲しい」とお願いして、がっつり取り組んでもらいました。
そんなわけで、僕は微々たるサポートとマネージメントに徹していた作品です。

「採用アニメ動画」について。
こちらは、うぐいす工房さんとタッグを組んで取り組んだ案件です。
僕は、立ち上げとマネージメントに徹して、本編の画は一枚も描かなかった作品です。
これまで、誰かしらにマネージメントやプロデュースをしてもらいながら
僕がアニメーション製作を担当する事は何度かありましたが、逆は初めてでした。
そこで僕は
――マネージメントやプロデュースという形で上に立とうとする人間は
「お金と時間と人を集める」
「100%監督の味方であり、監督のやりたい事を実現する為に奔走する」
という二つが絶対的な役割だ――
……という、変な自論を実践する事にしました。
現場から上がってきたものに対し、文句は勿論、求めれていない意見も、変な手出しも一切しない。
飽く迄、緩衝材としての立場で「クライアントへの説明に努めよう」と奮闘しました。
結果的には、あれこれとゴチャゴチャになるわ、二転三転するわ
現場にもクライアントにも苦労心労かけるわ、で大変でしたが……、何だかんだ形になりました。
しかし最終的には体制も仕上がって「また次あれば!」と落ち着いたのは、本当に幸いでした。

お仕事はそんな感じでした。
まだ公開できていないのも少しあるので、またの機会に書こうと思います。
……その内の一個は奇抜で「一週間で4分のMVできないかな」という阿呆な思い付きモノもあるので
もし公開に至りましたら、……またお目汚しかもしれませんが、お付き合いくだされば幸いです。



もう一つ。
言葉について思う事を少し。

以前、漫画家の草川為先生の言葉が、台詞回しが抜群に良いという話を書きました。
例えば――

ある青年男性と、ある思春期の女性が、ひょんな事から初対面ながらに同居することに。
お互いの素性は碌に知らないままに、怠惰な流れに身を任せるような暮らしぶり。
そんなある日。
女性のほうが、突拍子もなく男性の意外な素顔を知ってしまい
男性は素性がバレた事に気付いて、柄にもなく驚き慌てながら取り繕おうとする。
すると女性はあっさり見透かして
「…そんなにあわてるとは思わなかった」
と零すと、男性は……

……ここなんです。
日常的なドラマの中の一言、ここに絶妙な言葉遣いのセンスが出るんだと思います。
僕なら何て台詞を繋げるだろうか……男性キャラクターの性格を思えば
「意外?」とか「もういいよ、忘れて」とか「トラウマなんだ……」とか
そんな凡百の言葉なら出てくるのですが……。
しかし草川先生は

「……急所なので」

と、自嘲気味に返すんです。
……格好良い、最高に格好良い!
図星とか、トラウマとか、秘密とか弱点とかでなく、“急所”!
その言葉をここで出せるセンスが、兎角堪りません。

僕もそんな言葉回しが出来るようになりたい……
……こんなくどくどしい日記を延々書いているような奴に?
なんて嘲笑も飛んできそうですが、でも成りたい。

最近になってようやく思い至ったのですが、伸ばす為の一番簡単な方法って
「黒歴史を量産する」のような気がしています。
成長したからこそ「あの時はショボかったからねー」と笑えるんじゃないか……、と。
――だったら量産してやろうじゃないか、黒歴史!

という事で、サイトの隅の隅でこっそり、ポエムをちょこちょこupしようと思います。
……恥ずかしいから……
でも、誰か見ているかもという緊張感は大きいので……、でも、飽く迄こっそり。
いつか、草川先生ばりのゾクゾクする台詞回しができればと夢みつつ。
 鶏口牛口の世知辛さ 2017.11.06 ここ数年、人手について思うことが増えました。

数こそ少ないですがそれでも
そこそこの予算を組んで、人手を集めて、彼是のスケジュールを立てて、短期間でそれなりの品質を捻り出す……
という仕事を何件かこなしました。
与えられた短い期間を思えば、僕一人の力では到底成し得ない仕上がりに、まいど頭も上がりませんでした。
しかし伏した頭のその面は、顰めて歯を食いしばる常でした。

絶対的に付き纏う予算やスケジュールといった制約の中で
高らかに「満足した!」と誇れる仕事を、僕は出来た例もありません。
僕の視野の狭さや、了見の無さ、力不足の仕儀と思えば、それは当然でもありました。
しかし同時、同様の苦悩を、業界の先駆者らが嘆いているのをみて、僕には荷が勝ち過ぎるのだと悟りました。


牛の群れの船頭となって、道なき悪路を行く最中――、課題は次々と山積するのです。
船頭たる牛に跨って、歩けないけれど指示をする人。
数多が行き来して、立派な獣道となったそこを歩めと幾度も急かすのです。
しかしその先は、疾うに食い尽くされた荒地であると知っていれば、歩みだって止まるもの。
船頭の後ろには、止むを得ずについて行かなくてはならない、沢山の立派な牛たちがいるのです。
ならば、跨る人間の声を払い、道なき悪路を切り開こうかと思えども、連なる群れは大きいのです。
通りたくても通れない道が、あまりに多い。
崖っぷちを這い回って群れを沢山失えば、或いは道も見つかるかもしれない。
碌な休み場もない泥地を散々に進み群れから離脱者を幾らも出せば、或いは豊かな緑も見つかるかもしれない。
或いは、群れが朽ちるまで行軍をするのかもしれない。
沢山の危険を思えば、出来る事は少なくて、近場で、緑の香りのするほうへ、安全に慎重に進むのが大概に精一杯です。
やっとこさ辿り着いた餌場も、直ぐに食い尽くすものだから、休まず次を探さなければならない。
……人を乗せた牛の船頭とは、そういうものなんだと思っています。

同様の嘆きを、同業者と話した事もあります。
ある人は「憎まれ役を買ってでるしかないね」と、微苦笑していました。
別の人は「どうせ付いてくるしか能がないんだから、使ってあげればいい」と、達観したように告げていました。

それが出来れば、苦労はしない。
踏まれこき使われ煮え湯を飲まされた経験が、その荷をより重くして、割り切るのを何処までも難しくするのです。
嘆く先駆者らも、見棄てられるほどに嫌われて、ようやくその道を切り開いていく人ばかりでした。
そこまでして得るのが、孤独と自己満足であるならば――。


幼稚な僕の思うことは、単純です。
気心知れた僅かな人らと、変てこな事を散々に考えて、飽きるまで試行錯誤して
ゲラゲラ笑いながら質素な歩みを続けていたい。
大所帯の牛の群れを横目に見て、「わぁすごい!」と言いながら、それをつまみに阿呆な見解を語らいたい。
それでいて、疲れたら程々に朽ちてしまいたい。
……そんな鶏の群れは無いだろうか、作れないだろうかと、最近は茫と考えています。
 果てない農作業の道すがら 2017.10.18 大変なご無沙汰になってしまいました。
相も変わらず、細々と存えています。
大きな作業にキリも付いたので、日記もサイトも、また少しずつ更新していけたらと思います。
兎角、抜けた空白期間と簡単な近況報告をば。


去年から、新しい事を始めたいと大言壮語を繰り返しています。
そして愈々、今年の初めになって
まるで「あの辺りに新しい畑を作ろう!」と意気込むと、鍬を片手に荒れ地を耕し始めました。
しかしとても甘い想定の繰り返しで、先達てようやく、そこに畑が出来ました。
結局、足掛け1年ぐらい土を耕すだけの作業をしていたように思います。

そうして耕した土に、やっとの事で種をまき始めたのが、つい先日のことです。
意気込んだ当初を思えば、随分と的外れな想定だったものです。
だって当初の心算は、秋頃には仕上がって、その実りを吟味している予定でしたから。
実際は、今からが待ちに待ったスタートです。
果てしない農作業。
実りの秋を過ぎ、北風荒む長い冬をも越えて
明くる春には沢山の花と緑と、畑が豊かであればいいなと夢見ています。


お仕事の方は、こんな調子だった為に勇んで取り組んだものは特にありません。
代わり、少し雰囲気を変えて、誰かの個性や才を引きずり出せないかと取り組んだお仕事が幾つか。
またサイト更新の際に紹介出来ればなと思います。


それから、恙無い近況です。
先の耕作に一段落をつけてから、インプットの時間を多めに取っています。
ちょっとばかり、そのお話を。

一つ目、「ダンケルク」をIMAXで観てきました。
例の「インターステラー」に度肝を抜かれて以来、ノーラン監督作品を改めて観直して
ジマー氏の楽曲とのハイブリッドを堪能するようになったので、本作をとにかく楽しみにしていました。
が、何よりIMAX……。
IMAXとは、簡単に説明すると
正方形に近いデカいスクリーンと容赦ない音響とで構成された、映像体験の極みともいえる贅沢な劇場です。
ノーラン監督はIMAXを意識して映画作りをしているとの話を耳にしました。
だったら、そこまで足を運ぼうじゃないかと片道数時間かけて観に行きました。
すごかったです。
すごく、滅茶苦茶、酔いました。
元々、乗り物酔いやら3D酔いやらする性質なのですが、映画で酔ったのは初めてでした。
地獄のダンケルク、終盤は目を瞑り、噎せ返る彼是を必死に飲み込みなおす個人的な地獄を堪能していました……。
だって、皆さん楽しみにしていた映画で、近くに座った野郎がグロッキーなっていたら最悪じゃないですか……
クライマックスで席を立つ野暮な事もしたくない、誰彼の折角の映画体験を損ないたくない一心で
酸味をひたすら飲み込み続ける地獄のダンケルクになりました。
後日、改めてIMAXで、酔い止めを飲んでまで、観直してきました。
だのに微妙に酔いました。
……IMAX末恐ろしい。
戻りまして本題。
映画は、ノーラン監督作品らしく安定して、恐ろしい程の完成度を誇りました。
題材の切り口から表現の仕方まで、凡慮とはかけ離れつつも奇を衒う事はしない。
そこに、異常なまでのリアリティへの固執が画面にこびり付いて、噤ませるだけの説得力を醸し出していました。
……余談ですが、ノーラン監督はCGを毛嫌い、執拗に実物での表現に拘ることでも知られていて
本作ではその固執がSNS等でネタのように扱われていました。
でも、個人的にはとてもよく分かるのです。
一度「あれ?」とCGに違和感を覚えたら、もう止め処ないのです。
どんなに精巧でも、CGはCGにしか見えない。
……もちろん、CGがダメとは個人的にはちっとも思いません。
寧ろ、機能的に働くならばCGはどんどん推奨したいぐらい。
ただ、画面から浮き立ってしまう異物感、これが厄介なのです。
それを意図的に演出として機能させられれば、一石二鳥にもなりますから、結局は使い様ですね。
兎角、画面の中にCGを盛り込む事で
観客や批評家、或いは同業者に見破られるかどうかではなく、自分自身が観ていて違和感に苛まされてしまう。
そうなれば、極力、自分自身がムズ痒いものは避けようとするのも、よくよく分かる事なのです。
後は、どこに妥協の線引きをするか……、という話になるのですが、本監督はその点でほとんど妥協ないようにみえます。
だからこそ、画面に途切れがなく、繋がった連続性がリアリティを生み出しているのだと思います。
そういう意味でも、とても優れた映像戦場体験だったと感じました。
ただ、娯楽作品としては、同監督の「インセプション」にも些か至らぬ印象でした。
……というより同監督は、個人的には「インターステラー」が100点満点の200点たたき出した変な映画だったというだけで
後は安定して80~90点を取る優れた監督、という印象です。
「インセプション」も007への憧れの結実という印象が強く、バットマンはバットマンですし。
……「メメント」は未視聴なので今度観よう。
そんな僕の個人的な印象から、本作は期待通りのノーラン監督作品、という風に思いました。
それから今回のジマー氏は、もはや舵を映像音楽の方向へ完全に振り切っているように思いました。
これはこれで、凄まじかったです。
Dunkirk - Supermarine - Hans Zimmer (OFFICIAL)(YouTube)

二つ目、メトロイド2のリメイク「サムスリターンズ」をサクサクと遊びました。
2Dシリーズ1~4の内、2だけ遊べていなかったので、なんという好機。
10時間ちょいかかりましたが、100%クリアまでがっつり遊びました。
なんというか、これぞメトロイドという感覚でした。
独り黙々と、深く、静かに、鬱屈とした地下世界に潜りこんで、根こそぎ殲滅していく……
あぁメトロイドだなぁ、と何だかフュージョンを遊んだ頃を思いながらに遊んでいました。
しかし、随所に時代的な変更も沢山加えられており、非常に遊びやすかったです。
難易度は、時代錯誤な「クリア出来るもんならしてみろ」という挑戦的な作りでしたが
前述の沢山の変更のお陰か、山ほどのトライ&エラーが殆ど苦痛でなかったのは印象的でした。
普通に、ただただ面白楽しく遊んでしまった……幸せなこったです。

三つ目、草川為先生の「世界で一番悪い魔女」を読み始めました。
同作者は、もう10年ぐらい、ふと思い出したように追い掛け回している少女漫画家です。
そんなに追い回すほどに何が良いって、台詞回し、言葉回しが抜群に良いのです。
どう表現すればよいか難しいのですが……
知的で詩的に紡がれた言葉の一片が、妙に胸に刺さるのです。
僕が個人的によく使う、「様々の綯い交ぜ」や「記憶を薙ぐ」といった言い回しも、まんま草川先生の影響です。
そんな草川先生の新作があるという事で、遅れ馳せながら読み始めました。
……とてもよき……。
台詞回しや言葉回しは、もう何の不安も不足もないです。
何度となくゾクゾクする言葉回しに出くわします、凄く良いです。
「興味はこの世で最も尊い――無ければここにないも同じ」そう巡る言葉が
愛や勇気といった使い古された価値のその先にある自律や思考の、更にその先を切り開いていくようで
芯を揺さぶられているような感覚に陥りました。
内容自体もとても面白いです。
生臭いぐらいの人間味に溢れたキャラクター達の織り成す物語は
その帰趨に陰りを孕み始めて、先々が気になって仕方ない……というところで、最新刊は終いです。
……くそう、新刊早く読みたいな。

四つ目、科学雑誌を漁ったりし始めました。
何だかふと、折角のインプットならば、もっと土台にも立ち返れないか、と今更に再考しました。
でも僕は、どっぷり浸かる興味の先が乏しいのです。
例えば車や飛行機や音でも、銃器でもロボットでも、魚でも樹木でも石でも大陸でも歴史でも宇宙でも良いのです。
ただ単に好きではなく、夢中になる何か、興味の手綱を握られるようなそういう話――、僕には無いなぁ、と思っていました。
あるとすれば、無味乾燥で幼稚な哲学もどきや思考論に陥る事は楽しめるのですが……
等と考えていた時に、「素粒子均衡力」という、とんでもない推察に出くわしました。
とても阿呆な認識で書き記すと、重力は引力ではなくて圧力だった、という一説です。
これを考えているのが滅多矢鱈に楽しくて、数日間ずーっとあれこれと妄想を繰り広げていました。
そこでふと気付くのです。
――あぁ、僕の興味の手綱は、未知の科学領域に握られているのか。
と、まさか30手前にしてようやく思い至りました。
そうして、科学雑誌漁りを始めました。
何冊か適当に読んだところ、「Nature ダイジェスト」が程良さそうな感じです。
紙で購読したいのですが……、新しいのはもうウェブしかないのだろうか……。
兎角、ウェブ版でちょこちょこ読み始めてみました、やっぱり面白い。
……偶然に火照ったこの感覚が、単なる思い過ごしや錯覚的知覚でない事を祈りつつ。


最後にちょっと布教。

イロドリミドリ 『Session High⤴』 アニメーションMV(YouTube)
当人が、当人として喧伝している様子ではないので名前は伏せますが、とても華やかで良いなぁ。
前作が、苦労がそのまま画面に滲んで、魅力的な個性をかなり削がれていたように感じられたのに対して
今作はとても解き放たれているようで、この人ならではの魅力に満ち満ちて感じます。
しかし兎にも角にも、「せーのでっ」の箇所、気持ち良いなぁ……。

Fox And The Whale(YouTube)
……久々に、化物に出くわしました。
メインスタッフはほぼ3人? ……ううん、画面から押し寄せるこの圧が堪りません……凄まじい構図美。
月とスッポンで比べるのもおこがましいですが……、恐らくに僕の趣向性に限りなく近いアニメーション作品です。
僕がアニメーションしたいのは、キャラクターでもエフェクトでもなくて、空間そのものだったりします。
そこに漂う空気や臭い、風の塊や目の端を行き交う取るに足らぬ五分の微生物ら。
そういうものを描ければ御の字だ、と思ってアニメーションを作っているので、正しくな作品です。
画面に溢れるあらゆる要素が、全て別次元の高みにあって、ぽかんと阿呆面で眺めてしまいました。
いつか、このレベルに至りたいなぁ……。


長くなりましたが、こんな感じの相変わらずの近況でした。
まだまだ突破る為の試行錯誤は続いていきそうですし
その先を見る為の、興味の刺激の仕方も、年老い模索していかねばと心急くばかりです。
人は、興味を喰らい好奇心を充たす生き物。
必死に生きたいと願うから、興味に縋ってこそ存えたい。
 選別する自尊心、内々の欲動 2017.05.09 だいぶ間も開いてしまいました、ご無沙汰です。
相も変わらずに、のそのそと過ごしています。

ゆるく、遅々たる進捗ですが、暗澹たる展望を突破る為の灯りを、少しずつ形作っています。
秋ぐらいまではゆるゆると時間も喰われそうですが、でもお陰でとても楽しく、ワクワクしながら制作しています。
まだ見ぬ大地へ渡ろうとしたような、未踏の頂を目指したような、遠く高く月までへも行こうとしたような
傍からすれば命知らずの行いに殉じた者々も、傍からでは決して得られぬ高揚感でいっぱいだったはず。
実際に多くの命も絶ったでしょうし、無念も後悔も尽きぬでしょうけれども、この好奇心に踊らされたが最期。
未練に蝕み殺されるのか、志半ばで朽ちるのか…、そんな酷な選択も、終にはやって来るのです。

僕の試みは決してそんなに大それたものではないのですが
小さな僕個人にとってみれば、然して大差あるものではないのだと感じています。
その結果をお知らせできる日も来れば、その時はぜひ、「どれどれ」と覗いてご鑑笑でも頂ければ何よりです。
それがどんな形であれ、突破る何かである事を願いながら、コツコツとやってみたいと思います。


そんな事も思えば先日、物事の選択、選別について漠然と思い耽っていました。
いつもながらの、そんな備忘録です。

最近になって、朝にお米を食べる事が少々しんどくなってきました。
どうにも少し、胃に重たいのです。
手軽に胃を満たせるお米が食べ難い事もあってつい、ここしばらくは朝御飯も適当になりがちです。
考えられる原因もいくつかありますが、それらを一個ずつ改善していくのも地味に骨折りで
お米を欠く事による朝御飯の選択肢の激減を、ちょっと甘んじて受け入れてしまっています。

そんな風に、日々迫られる数多の選択も、環境など様々に起因して、選択肢が少しずつ削り取られていく事を痛感しています。
"選択する"という多大な労力も軽減される一方で
一つ、また一つと、選択肢が削り落とされて、心の内が着々と逼迫されていく感覚も同様に顕れるのです。

選択とは、時に強い疲労感さえ伴うとても厄介な行為だと考えています。
そこに潜む攻撃性や差別性を考慮すれば尚の事。
それらを構成する選択肢が必然的に外因的に減る事に、なぜ殊更に逼迫されているのだろうか…
と再考に至れど畢竟単純な話で、選択の余地の減少は、そのまま"不自由"と直結するからだろうと思います。
どんな理由であれ不自由な状況下では、自らを誇り、自らを護る自尊心が容易に傷付きます。
それが、どうにも耐え難いのでしょう。

ところで、そんな面倒な自尊心を傷め付けているものってなんでしょう。
踏みとどまって考えてもみれば厄介です。


少し脱線しますが、僕の中にある人間観を少々。
あまり共感してもらえない見方ですが、僕にとって人間とは、数多の原子で満ちるこの空間にあって
たまたま複数のそれらが様々な因果によって引っ付いているだけの、一塊の化合物だと考えています。
そしてその塊を構成する原子も、全く"個"には依存しておらず
絶えず身近な環境下で放出と吸収、再構成を繰り返している、空間上のただの塊のように思います。
その為、「生きている」という個の感覚は、個の構成物にとっては、ある塊に縛り付けられている不自由な状態のはずです。
ゆえに絶えず、塊から解放される事によって得られるであろう"自由"を渇望しているのだと考えています。
そんな原初的な自由への渇望を錯覚的に知覚して、何かしらから自由になりたい、自由でありたいと人は望むのだと。
…だからこそ、個の全ての構成物が霧散する死こそが、個の到達し得る究極の自由なのだ、とかちょっと思うのですが…。
…危険思想ではないですよ…おそらく。

一方で、この一塊の化合物はもう一つの全く別の顔もあって、それは化合物の最適解の探求です。
これは"生きもの"の存在意義、複製行動の意義、目的…などの拙考と共に得た見解ですが
あらゆる環境下で化合状態を保ち続ける、そういう先の自由の渇望とは一見、矛盾した見方です。
しかしその実、大差ない話で、塊となった化合物の自由への渇望はあくまで自発的な解放によるものであって
外的要因による破壊や分解は、基本的には望んでいないのだろうと考えています。
…病原菌や反乱分子など、内部破壊を試みるイレギュラーな存在もありますので、あくまで基本的に。
ですから、自発的な解放に至るまでは化合物内で安定的に存在する為に
化合物をより安全な状態で保存し続ける、という最適解の探求です。
しかしそうして得られた最適解への道すがらも、ある程度の時を経た段階で自発的な解放により無に帰してしまう為
それらを無為にしない為にも、自らを複製して得られた解法の一部なりを伝え続けていく…。

そういう繰り返しの中で生じたまずまずの成功例が、人間なのだ、という考え方です。
…分かる分かるー、と言ってくれる人が少しでもいたらよいのですが。


話を戻しまして、選択肢の削減による逼迫について。
今しがた書き記した僕の人間観からいうと、それはとても自然に感じられます。
原初的な自由への渇望の錯覚的な知覚と、最適解を求め続ける為に要する可能性の試行錯誤。
その何れをも同時に踏み躙る事ができる選択肢の削奪が、内々にえもいわれぬ不快感を与えるのは納得のいく道理です。

個人的な所感として、こういう内々に潜む構造を発端にする不快感は、理解や思想で以てして乗り越えるのは
空腹や眠気をそれらで乗り越えるのと相違なく、至極困難な事だと考えております。
煎ずれば、前述の自尊心を傷め付ける正体は正しくこれではないかと感じられて
究極的に自尊心を保つ為にも、選択肢の削奪は可能な限り避けるに越した事はないのです。

個人の話でいうならば、選択肢を削奪されない為に努力する、これで終いの話ですが
選択や選別というのは大概に他者を巻き込み起こる、複雑厄介な話になりがちです。
個から社会規模までを包括的に捉えて選択肢の削奪をつきつめてもみれば
現代社会は未だこれを解決し切れておらず、恐らくそこにある唯一の解決策も不確定なもので
それを確固にし得るのは化合物が意図的な並列頭脳を獲得したその先だと思うと、突飛な話にしかなり得ません。
結局、個に留まらない選択肢について思えば、個の及ぶ力は微々たるもので
その範疇で他者の選別を護りつつ、自らの自尊心を満たすだけの塩梅を保ち続ける…
個では、その程度しか成し得る事もあまりないのだろうとお手上げ気味です。

冒頭に述べた好奇心も畢竟、同じ所に端を発しているはずで即ち
最適解の探求による可能性への欲動と、原初的な自由への渇望を現状の不自由からの解放欲求へと錯覚的に知覚している事
それぞれに起因しているように思います。
結局は自尊心も好奇心も、それらの衝突も必然的に思えて、制御の困難さを思い知るばかりです。

しかし、そういった欲動を満たす為の線引きには、先の理解や思想というのが多少なり役に立つ筈です。
自らを保つに足り得る必要最小限をそれらでもって見出す、そういう扱い方です。
…とあるアレ風に記すなら、自らの内々の欲動の理解・分解・再構築…といったところでしょうか。
内々の構造的な欲動はどれだけ細分化しても消えやしませんが、それらの充たし方というのは千差万別ありうる筈です。
そういう一切をちゃんと自分なりの思想で…それが困難であるならば或いは真っ当な宗教なりで、理解して補わねば
永らえるほどに、その充たし方にも個なりの成功体験が付随し依存して、選別の労力を惜しんで不自由に憤る…
そういった、悲しい性に囚われてしまうように思えてならないのです。

出来得る事ならば、内々に潜む本質的な欲動を各々が個なりに了知して
それらを適度に満たす綱渡りにも似た線引きを巧みにこなしていくような、苦痛の少ない時間を誰しも過ごせれば…
なんて理想を抱きつつ、性懲りもなく歳を取るばかりです。
 伝説の帰還 2017.03.13 一気にクリアして、あとは作業片手間にのんびりやろうと考えて、数日間「ゼルダの伝説」に入り浸っていました。
おかげ様で先日、無事クリアまで辿り着いて、平時に戻りました。
…こういう遊び方を心底勿体無いなぁとは思います。
同シリーズの「時のオカリナ」はクリアに3ヶ月かかった事を今でもよく覚えています。
だからこその思い入れ、というのもあるのでしょうけれど…
今となっては3ヵ月もチマチマと攻略を続ける気力がついてこないので、積んでしまう前に一通りちゃんと遊びたく。
そんな訳で、最近は待望の娯楽こそ一頻り集中型になっていたりします。

先に結論をまとめますと
シリーズでも屈指の完成度を誇る、紛れもない傑作でした。
凄まじいほどの作り込みと異常なまでの拘りとによって結実した、稀有な作品だと思います。
先日、前々より告げていたゼルダのファンアートとして、GIFアニメを制作しましたが
正直に告白すると、本家よりも豊かな画面を作ってやる!と意気込んで、実際に実現できるものと高を括っていました。
でも、遊んだ方は十分に察するところでしょうけれども、本家の豊かさは桁違いで
見てくれだけを賢しらに誇示する僕の豊かさは、実に貧相に思えるほどに、圧倒的な差を見せ付けられました。
それほどに、今作は兎にも角にも、豊かなゲームでした。

という事で以下、「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」のネタバレ満載の所感を連ねたいと思います。

…因みに、僕のゼルダ遍歴は
時のオカリナ>ムジュラの仮面>風のタクト>神々のトライフォース>四つの剣+>ふしぎのぼうし>
トワイライトプリンセス>夢幻の砂時計>スカイウォードソード>ブレスオブザワイルド
です。
「初代」「リンクの冒険」「夢をみる島」「大地の汽笛」「三銃士」はプレイしていますが未クリアのままです…
傑作と名高い「夢をみる島」クリアできていないのは地味に心残りです。
全くのノータッチは「ふしぎの木の実」「神々2」とリメイク系、外伝系です。
あと、今作のあれこれ触れる前置きに、オープンワールド系のゲームの凡そ遍歴として
TES4、TES5、GTA4、AC3、Witcher3、FarCry2、RFG、Minecraft、Borderlands2(段々と該当ジャンルかどうか微妙に…)
辺りは遊んでいます。
なお、クリアできたのは後半4つだけです…オープンワールドはいつも半端どころで止まってしまって…。

前置き長くなりましたが、そんなプレイヤー情報の元
以下、容赦ないネタバレを含む所感になりますので、留意ください。


色々思う節を書き連ねましたが、とどのつまりはオススメです。
とんでもない時間泥棒ですから遊ぶのにも覚悟いりますが…とてもよいインプットにもなろうかと。
「Halo3」以来に、「作り込みってのはここまでやるんだ!」というのを見せ付けられた気分です。
まだまだ、真にすべてがまだまだだと痛感しました。
 蓼食う虫の、選り好み 2017.02.26 少しぶりです。
イラスト3枚更新しました、珍しくファンアート多めです。

オリジナルイラストは、2年前からじわじわと出てきた"裡の子"です。
通称「常闇童女(トコヤミドウジョ)」、何となしに浮かんだこの語感が、地味にお気に入りの子です。
僕のキャラ郡の中ではダントツの病んでるキャラで、設定もすでに諸々持ち合わせていて
どういう場面で登場して、どういう風に動き回り、どういう台詞回しで相対するキャラと絡むのか。
もう殆ど決まっていたりします。
どうにか活躍の場を設けられたらなぁ…と思いつつ。
物事が理想的に進めば再来年頃にも、バリバリ活躍して欲しいなぁと夢想中です。
物事が現実的であるならば、活躍の場もないやも分かりませんが…。

ファンアート一枚目は、ツイッターの相互フォロワー(@さわやさん/twitter)のオリジナルキャラです。
狐娘で、何かとやらしい目にあう可哀相な娘ですが、さわやさんの描くこのキャラがとても可愛いのです…。
しかも、特徴はバリバリ持ちつつ、色合いも際立ちつつ、でも線は絞られていて多くない…
というアニメ的なデザインも、個人的な描きたい欲を刺激して、ずっと描いてみたいなぁと思っていたキャラでした。
案の定、描いていてとても楽しかった反面、オリジナルの魅力を芥ほども引き出せなくて、自分の画力に凹みました。
今さらに、可愛いって難しいなぁと再認識しています。

ファンアート二枚目は、ハタラキ有さん(@ハタラキ有さん/twitter)というFLASH時代からの豪傑が
たった一人で延々製作しているアニメシリーズ「ナイトメアアナボリズム(公式HP)」の登場キャラクターです。
…個人製作にして35話分も作り、その総尺なんと3時間ぐらいあります。
しかもまだ物語は半分ぐらい?らしい、なんというか…ひたすらに凄まじい熱量です。
内容は、いわゆる特殊能力系アクションで、王道的な中二病を突っ走る熱いヤツです。とにかく熱いです。
ただ、物語は結構入り組んでいて、設定も細かくあり、理解しながら観ようとすると体力使います。
つまるところ、考察スキーには堪らない代物のはず。

話数多すぎ…話理解するのしんどい…ついていけん…、というお方!
騙されたと思って、下記の話数から数話でいいので、流し観でもよいので観て欲しいです。
ナイトメアアナボリズム 第二十六話「カクシゴト」(ニコニコ動画)
ちょっとネタバレすると、サイボーグとの能力バトルなのですが台詞回しが格好良くって…
「私は本物によく似せただけの"にせもの"…。嘘とは別物だよ!」と自我を保つ敵役のサイボーグが切なくて、とてもツボです。
少しでも興味ありましたら、是非!


そんな感じの、二次創作詰でした。
以前はどうにもアレコレ言い訳をして二次創作から逃げ回っていましたが…
ががめさんが書いていた「憧れ」の重みに似た何かを僕自身も痛感していて
"好き"という実感を、ちゃんと表に出していきたいなと、ここ数年は考え方も少しずつ変わっているように思います。

僕の二次創作歴は偏りまくっていて、生涯で描いたひと様のキャラクターは
一番多いのは、作画した都合でメトロイドからサムス
二番目はたぶん、ががめさんの看板娘
三番目はおそらく、ゼルダの伝説からリンク
四番目はきっと、Haloからマスターチーフ
…あとはみな1,2回しか描いた事もないだろうので、似たり寄ったりです。
…少ない…、もっと色々描いていきたいなぁ。
たぶん近々、「ゼルダの伝説」の絵は描くと思います、新作出ますし!
リンクを描くのも地味に2年ぶりぐらいなので、ちょっと楽しみです。
下手になってないとよいけれど…

兎角、そんなファンアート話でした。



ところでゼルダ。ゼルダ!
6年ぶりの新作、ずっと「どうだろう…」と様子見してたんですが、先日のトレーラーで打ち抜かれました。
ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド 3rd トレーラー(YouTube)
なんでゼルダのトレーラーはこうも毎度、童心を引きずりだしてくるのだろう…心躍ってしまいます。
狂ったように、もう何十時間も繰り返し再生している(作業用BGM化)ので、横で作業しているpurikokoさんも失笑気味です。
…何だかんだ言っても、僕は結局ゼルダ信者です。

ところでこのトレーラー、ファン的に色々と凄いんです。
音楽のパワーは言わずもがなですが、それに絡めつつファンを揺さぶりまくる構成になっています。

「ゼルダの伝説」の動画を観て狂喜乱舞する外人たち(YouTube)

先ほどのトレーラーを順に追っていくと…
冒頭は極めて静かな導入です、長年のファンは期待半分、不安半分の面持ちです。
そこから、これまでに公開してきた動画等々のおさらい的な、世界観の説明。
「こういう景色はもう観たな…」という印象からの、声によるストーリー導入。
これは、もう10年ぐらい、声優は有りか無しかで盛り上がっていたコミュニティに対する公式のようやくの回答です。
一応、1stトレーラーでも音声は入っているのですが、トレーラー専用ボイスに聞こえなくもなくファンは半信半疑だったはず。
いきなりの音声と、おまけに「ガノン」の単語も混じって呆気に取られている隙に、壮大なアクションシーンへ。
これまでゲームギミック的なアクション紹介しか満足に無かったところに、怒涛のアクションシーンの公開です。
シリーズで最もアクション寄りの今作を魅せつけてきます。
おそらくゼルダファン的には、もう殆どokです、十分です、買います。
という緩みを突いて、「さらには壮大な物語を圧倒的なスケールでお送りします」なデクの樹サマの台詞からのスケールアップ。
個人的には「…こんなに作り込んでいたのか」と圧巻でした。
そして、散々に引っ張っていたゼルダ姫の登場。
…スカイウォードやらのゼルダ姫がとても可愛いので、…あれ?という印象は否めず。
とか思っているのも束の間、30年続くシリーズではじめて、ゼルダ姫が絶望に負けて激情を顕わにして号泣するのです。
しかも声付き、ファンのほうが絶句です。
因みに、ゼルダ姫自体には声がついていた事(ナビトラッカーズ)も、感情的な性格(大地の汽笛)だった事もありますが…
今回のはひときわ特殊でした。
ここまでの展開で完全に呆然としているであろうファンに
「これこそゼルダだ!」と言わんばかりに、メインテーマと共にあらゆる要素が雪崩れ込んできます。
もうファンは息を呑んで見守るのみです。
…こんなに盛り沢山なら、ゼルダだし延期するんじゃ…という杞憂も払って、動画は終いです。

30年続いたシリーズが、30年の時を経て誰もが望むゼルダを体現しようとしている…
そういう動画だったように思います。
上記の動画の、無言で泣き出す男性はきっと筋金入りのファンなんじゃないかなぁと思います。
僕は「時のオカリナ」からなので20年弱ですが、やはり感極まるものありましたもの。

そんな訳で、なんというか、うん、やっぱりゼルダが大好きなんだなぁと再認識させられました。
…発売前は毎度のように思うのですが。
兎角、ゼルダ楽しみです。


ところで、ゼルダシリーズの予告トレーラーは音楽も毎度とても良いのです。
おまけにそれらは、本編で流さないトレーラー専用仕様。贅沢!
…個人用に、こっそりまとめたものが。ゼルダの伝説 トレイラー集(YouTube Playlist)
興味ありましたら、こっそりお楽しみください。
 噂の4K 2017.02.02 2年と少しぶりに、tsuburana Minion更新です。
一週間ぐらいで、と仕込んだのですが、何やかんやで一ヶ月弱かかってしまいました。
…Minion、誰も覚えちゃいないでしょうから簡単に説明しますと
purikokoさんの楽曲を主体にして、音楽を邪魔しない程度のアニメーションを添えた作品です。
フォーマット的には映像ですが、本質的には音楽作品になります。
そんなtsuburana Minionの新作がこちらです。

Minion【mutabloop】

前作、「Apocalypsis」の鬱々とした雰囲気から一見一転して、穏かな様相をみせる道路沿いにカメラを置きました。
音楽も、「Apocalypsis」は悲壮で力強い印象であったのに対し
今回は、穏かなで日常風景を切り取ったような印象に様変わりしました。
それらが組み合わさって結果的に、「Apocalypsis」よりも「ジリジリもようの流々転々」の続編のように…。
というより、「ジリジリもようの流々転々」こそ、Minion作品の走りだとか考えていたりもするので
これはこれで良いのかなぁなんて緩く感じています。

昨今、映像も音楽もどんどん加速的に忙しくなっていますが
時にはダラダラと、垂れ流される映像横目に、広がりある音楽にゆたりと浸かる時間…なんてものはいかがでしょうか。
そんな一時の一助にでもなれば幸いです。


今作も毎度ながらの技術屋根性で、あれこれ試行錯誤して訳の分からない仕様を沢山仕込みましたが
何より噂の4Kに手を出してみたのは大きかったです。
…4K制作自体は去年の春からジワジワはじめていたので
作画やその他編集はそれほど難なく進んだのですが…


レンダリング…。

動画を書き出すのに本作、トータルで100時間ぐらい喰いました。

…レンダリングだけの時間ですよ!?
しかも!
以前、2Kの「そばかす」のレンダリングでも30時間ぐらいかかってしまった事もあって
それ以来あれこれと書き出し対策は小まめにするようにしているんです、細々と部分部分書き出したり…。
確かに、僕は何かと余計な仕様をごった煮過ぎて重たいプロジェクトにしがちなんですが
それにしても想像をだいぶ上回る結果でした。
そんな訳で、2日3日連続で「ほぼレンダリングしかしてない」みたいな時間が続きました。
エラーはいたらどうしようとか、途中でPC落ちたらどうしようとか、妙な緊張感さえありました。

どうにも、4Kは作るにもまだまだハードル高いなぁという印象です。
ただ、それでもやはり4K、ちゃんと整った環境で観れば、フルHDとは明らかに違う精細さも楽しめます。
浸る、というならば高画質のほうがやはり相性良いなぁと痛感しています…が
「2020年には8Kだ」とかメチャクチャな事いっていますから、どうなるやらです。
末恐ろし…。
 やりたい事を。 2017.01.21 新年明けましておめでとうございます。
少しばかり挨拶遅くなりましたが、今年も一年、どうかよろしくお願いします。

日記も少し間を空けてしまいました、ご無沙汰です。
サイト更新も溜めてしまっていたので、併せてダダダっと更新しました。
トップページの更新の箇条書だけではどうにも見え切らないので、お仕事の動画について少し触れたいと思います。

追加したものについて。
一つ目は去年から引き続きで、2クール目に突入した「戦国鳥獣戯画」。
こちらは特筆すべき点はなく、ただただ去年からの引き続きです。
二つ目は、化粧品会社のブランドムービーの作画部分を手伝いました。
実際の作画はほぼ、いつも素晴らしい作画をしてくれるNo.1Øさんによるものです。
それらに、動画編集ソフトで質感を与えて、変てこな動きをつける作業をしていました。
編集ソフトのパペットという機能でどこまで遊べるのか試行錯誤しつつでしたが…
機能的に秘められた可能性は「うーん…」という印象でした。
三つ目は、MVの部分担当をしました。
こちらは歌っている方(普段とは別名義ですが)と縁あって、その流れで請負った作品です。
四つ目は、ずいぶん前の動画ですが
「株式会社オプト新卒採用MOVIE」が残念ながら非公開になっていたので動画のリンクを外しました。

お仕事関連の追加説明は以上です。

…。
…何というか、うん。
実に、事務的。



…気を取り直して!

新年一発目なので、毎年恒例の一年の抱負から始めたいと思います。
…の前に、こちらも恒例になりつつある、年の暮れにし損ねた一年の振り返りも交えつつ。

2009年「絵を描く!」
2010年「続ける事」
2011年「邁進」
2012年「迅速と忍耐」
2013年「不屈自立」
2014年「大変を楽しむ」
2015年「貫徹」
2016年「突破口へ」

抱負を意識し始めてから、何だかんだで8年経ちました。
思いの外続いています。
抱負を見返すだけで、その一年を漠然と思い出される気もするので
無為に過ごした錯覚に襲われて呵責に苛まされるような事も些か減っているように思います、地味にあり難い。

昨年の抱負は「突破口へ」、新しい事に挑むべく打ち立てた抱負でした。
結果から記すと、「突破口」へ向う準備に一年費やしてしまいました。
2015年からの負物とそれらに纏わりつく多くとに、向き合ったりそっぽ向いたりしながら整理していたら
その一つ一つが想像以上に時間を要してしまい、丸一年かかってしまいました。
年初めの予想では「3、4ヶ月。仮に延びても半年ぐらいですっきり終わる」と思っていたのですが…
とても多めに見積もった半年でも全く足りませんでした、情けなし。

しかしお陰様で、今現在はだいぶ荷も減り、身動き取れる状態にまでなりました。
だから文字通り、一年かけて、「突破口へ」向っていました。
…いや、そういう心算ではなかったのだけれども…。

そんな訳で昨年は
抱負実現に向けて動いていた一年ではあったけれど、下積みのような一年間でした。
だから今年は引き続きで、ようやく目的の入り口に辿り着こうとしているのだから
あとは怯まずに、臆さずに、堂々と、「突破る」一年にしたいと思います。
…呆けていて、「突破口へ」を引きずりながら「突破る」をみて
「…"トッパる"かぁ…若者言葉だなぁ」と思ったのは内緒です。

兎角。
突破った先に何があるかは、知りません。
折角破った壁の向こうは奈落かもしれません。
でも、好奇心には敵わないのです。
死んでみるまで、試してみたくて仕方ないのです。
大した生きていたい理由もないのなら、素直に、やりたい事に注ぎ込みたい。
今は愚かにも、そう思っています。

そんな愚かの道化の顛末を、遠巻きで良いのです。
僅かばかりの気をかけてもらえれば、それで仕舞まで踊り狂えます。
そんな奇特な方の、どうかほんの気晴らしにもなればと切実に願っています。


あと、昨年の目標で「文字に触れたい」とも掲げていました。
日記は散々で、中々に酷い更新頻度でしたが、読書は悲観よりも続きました。
全集を買って読んでいるので、冊数を正確に把握できていないのですが
恐らく十数冊は読めたんじゃないかと思います。
…少ないって?
大丈夫、一昨年の僕の読書冊数は、ゼロです。
その前の年は、ゼロです。
その前の年も、お察しです。
それを思えば、大躍進です。
今年も、日記はもう少し頻度を上げて、文字に触れる時間も増やせたらなと思います。
その希望も込めて、過去の日記をまとめたりもしました。
文字に触れつつ、吸収しつつ、突破れる一年を目論んで、今年一年ゴリゴリと過ごしたいと思います。


毎度のこと、長くなりましたが新年最初の日記でした。
これも恒例と化しつつありますが
こんな辺鄙なところまで御目を通しくれる奇特な方々の
今年一年のご健康とご多幸をお祈り申し上げて、新年の挨拶に代えさせて頂きます。